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2010年03月13日(土)更新
湯島聖堂で彫刻を・・・
今日は筑波大学 芸術専門学群 博士課程 芸術専攻
による「第11回 彫塑展」が開催されております湯島聖堂に行ってきました。
明日までやっております。
お世話になっている筑波大学の学生展なので、
本日出社している社員を連れて行くことになっていたのです。
が、
今朝の朝礼の時点では反応は良かった気がしたのですが、どうやら今日中に終わらせておきたい仕事が溜まっている状況らしく。
一人が
「私は遠慮しておきます」
「ちょっとやる事が多すぎて・・・」
と言ったのを皮切りに、
「私も」、
「では私も止めておきます」
となり。
結局全員に振られました・・・。
平日ではなく、土曜日だからこそ誘ったのですが、その意図はあまりくみ取ってもらえず。
ものすごく忙しいわけではありませんが、それでも休憩時間として時間を割くほどの余裕がないほど、それぞれのポジションで仕事があるのでしょう。
(それを人は忙しいと言う?!)
もちろん私だけが忙しくないわけでは無く、同じように忙しくやっておりますが。
そんなに遠くなく車で7分の展覧会場に行く事ができないほどの忙しさなのでしょうか。
きっと、そうなんでしょう。
たくさんのお仕事をお客様から頂けている事に感謝です。
でも、社長としては社員(職人)に学生さん達の作品や、あの雰囲気を観て何かを感じてもらいたく。
でも、押しつけはダメですね。
とにかく仕事熱心で嬉しい限りです!?
社長としても、この仕事に対するまじめ度に安心できます。
話を戻して、
会場はオープンスペースの贅沢すぎる場所「湯島聖堂」。
土曜日で、イベントもやっていた関係でものすごく盛況でした。
彫刻の展覧会、しかも学生のもので、あのような活気があって人だかりがあっちこっちで出来ている展覧会は今までに行った事がありません。
(昨年は雨上がりの平日に訪れたので誰も人がいませんでした)
今日は筑波大学の宮坂慎司さんに、ずっと展覧会の作品の事、彫刻について、そして湯島聖堂の中も案内して頂き、安置されているブロンズ像などを解説していただきました。
湯島聖堂大成殿の中には生まれて初めて入りましたが、中は日本でも珍しい雰囲気のある空間です。
中国風と日本風のちょうど真ん中の様な。
彫刻とは関係ない方でも、近くに寄られた際は絶対行かれた方が良いです。
(※ 土,日曜,祝日のみ大成殿は公開 (午前10時~閉門時間まで))
入場料は200円でした。
大成殿の中では「孔子像」や絵、調度品など儒学教育の現場の礎に触れる事が出来ました。
ではなぜ、この場所で筑波大学の展覧会が出来るのか。
それは、もともとこの場所が筑波大学の発祥の地だからです。
また、ここは日本で最初の博物館があったところだそうです。
そういった意味ではこの展覧会のスタイルは、今は大変珍しくても
「原点に戻った!」
と言っても過言では無いでしょう。
他は上手く解説出来ないので、
WEBサイトよりそのままを転載致します。
以下転載
徳川五代将軍綱吉は儒学の振興を図るため、元禄3年(1690)湯島の地に聖堂を創建して上野忍岡の林家私邸にあった廟殿と林家の家塾をここに移しました。これが現在の湯島聖堂の始まりです。その後、およそ100年を経た寛政9年(1797)幕府直轄学校として、世に名高い「昌平坂学問所(通称『昌平校』)」を開設しました。
明治維新を迎えると聖堂・学問所は新政府の所管するところとなり、当初、学問所は大学校・大学と改称されながら存置されましたが、明治4年(1871)これを廃して文部省が置かれることとなり、林羅山以来240年、学問所となってからは75年の儒学の講筵は、ここにその歴史を閉じた次第です。ついでこの年わが国最初の博物館(現在の東京国立博物館)が置かれ、翌5年(1872)には東京師範学校、わが国初の図書館である書籍館が置かれ、7年(1874)には東京女子師範学校が設置され、両校はそれぞれ明治19年(1886)、23年(1890)高等師範学校に昇格したのち、現在の筑波大学、お茶の水女子大学へと発展してまいりました。このように、湯島聖堂は維新の一大変革に当たっても学問所としての伝統を受け継ぎ、近代教育発祥の地としての栄誉を担いました。
大正11年(1922)湯島聖堂は国の史跡に指定されましたが、翌12年(1923)関東大震災が起こり、わずかに入徳門と水屋を残し、すべてを焼失いたしました。この復興は斯文会が中心となり、昭和10年(1935)工学博士東京帝国大学伊東忠太教授の設計と㈱大林組の施工により、寛政時代の旧制を模し、鉄筋コンクリート造りで再建を果たしました。この建物が現在の湯島聖堂で、昭和61年度(1986)から文化庁による保存修理工事が、奇しくも再び(株)大林組の施工で行われ、平成5年(1993)三月竣工いたしました。
以上
ココが実はすごい場所だという事を今日知りました。
お茶の水方面に行かれる予定の皆さん、今後は湯島天神だけでは無く、湯島聖堂にも立ち寄ってみてくださいね。
筑波大学の学生の皆さん、先生方、どうもありがとうございました。
皆様の今後の益々のご活躍を期待しております。
筑波大学芸術専攻 WEBサイト
http://www.geijutsu.tsukuba.ac.jp/
湯島聖堂WEBサイト
http://www.seido.or.jp/index.html
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
オリジナル表彰記念品・ブロンズ像・レリーフ彫刻・アートアクセサリー
株式会社 日本金属工芸研究所
〒113-0023 東京都文京区向丘1-6-12
TEL 03-3811-7709 FAX 03-3813-0003
E-mail :support@jmaac.co.jp
URL :http://www.jmaac.co.jp
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◇JMAAC ㈱日本金属工芸研究所 会社ブログ
http://ameblo.jp/nihonkinzokukougei/
◇経営者の情報技術勉強会 IT研究会
http://www.itk.jp/
◇ビジネス情報ネットリンク集
http://www.jmaac.co.jp/jlink/link7new-1.html
◇FIDEM International Art Medal Federation
http://www.fidem-medals.org/
による「第11回 彫塑展」が開催されております湯島聖堂に行ってきました。
明日までやっております。
お世話になっている筑波大学の学生展なので、
本日出社している社員を連れて行くことになっていたのです。
が、
今朝の朝礼の時点では反応は良かった気がしたのですが、どうやら今日中に終わらせておきたい仕事が溜まっている状況らしく。
一人が
「私は遠慮しておきます」
「ちょっとやる事が多すぎて・・・」
と言ったのを皮切りに、
「私も」、
「では私も止めておきます」
となり。
結局全員に振られました・・・。
平日ではなく、土曜日だからこそ誘ったのですが、その意図はあまりくみ取ってもらえず。
ものすごく忙しいわけではありませんが、それでも休憩時間として時間を割くほどの余裕がないほど、それぞれのポジションで仕事があるのでしょう。
(それを人は忙しいと言う?!)
もちろん私だけが忙しくないわけでは無く、同じように忙しくやっておりますが。
そんなに遠くなく車で7分の展覧会場に行く事ができないほどの忙しさなのでしょうか。
きっと、そうなんでしょう。
たくさんのお仕事をお客様から頂けている事に感謝です。
でも、社長としては社員(職人)に学生さん達の作品や、あの雰囲気を観て何かを感じてもらいたく。
でも、押しつけはダメですね。
とにかく仕事熱心で嬉しい限りです!?
社長としても、この仕事に対するまじめ度に安心できます。
話を戻して、
会場はオープンスペースの贅沢すぎる場所「湯島聖堂」。
土曜日で、イベントもやっていた関係でものすごく盛況でした。
彫刻の展覧会、しかも学生のもので、あのような活気があって人だかりがあっちこっちで出来ている展覧会は今までに行った事がありません。
(昨年は雨上がりの平日に訪れたので誰も人がいませんでした)
今日は筑波大学の宮坂慎司さんに、ずっと展覧会の作品の事、彫刻について、そして湯島聖堂の中も案内して頂き、安置されているブロンズ像などを解説していただきました。
湯島聖堂大成殿の中には生まれて初めて入りましたが、中は日本でも珍しい雰囲気のある空間です。
中国風と日本風のちょうど真ん中の様な。
彫刻とは関係ない方でも、近くに寄られた際は絶対行かれた方が良いです。
(※ 土,日曜,祝日のみ大成殿は公開 (午前10時~閉門時間まで))
入場料は200円でした。
大成殿の中では「孔子像」や絵、調度品など儒学教育の現場の礎に触れる事が出来ました。
ではなぜ、この場所で筑波大学の展覧会が出来るのか。
それは、もともとこの場所が筑波大学の発祥の地だからです。
また、ここは日本で最初の博物館があったところだそうです。
そういった意味ではこの展覧会のスタイルは、今は大変珍しくても
「原点に戻った!」
と言っても過言では無いでしょう。
他は上手く解説出来ないので、
WEBサイトよりそのままを転載致します。
以下転載
徳川五代将軍綱吉は儒学の振興を図るため、元禄3年(1690)湯島の地に聖堂を創建して上野忍岡の林家私邸にあった廟殿と林家の家塾をここに移しました。これが現在の湯島聖堂の始まりです。その後、およそ100年を経た寛政9年(1797)幕府直轄学校として、世に名高い「昌平坂学問所(通称『昌平校』)」を開設しました。
明治維新を迎えると聖堂・学問所は新政府の所管するところとなり、当初、学問所は大学校・大学と改称されながら存置されましたが、明治4年(1871)これを廃して文部省が置かれることとなり、林羅山以来240年、学問所となってからは75年の儒学の講筵は、ここにその歴史を閉じた次第です。ついでこの年わが国最初の博物館(現在の東京国立博物館)が置かれ、翌5年(1872)には東京師範学校、わが国初の図書館である書籍館が置かれ、7年(1874)には東京女子師範学校が設置され、両校はそれぞれ明治19年(1886)、23年(1890)高等師範学校に昇格したのち、現在の筑波大学、お茶の水女子大学へと発展してまいりました。このように、湯島聖堂は維新の一大変革に当たっても学問所としての伝統を受け継ぎ、近代教育発祥の地としての栄誉を担いました。
大正11年(1922)湯島聖堂は国の史跡に指定されましたが、翌12年(1923)関東大震災が起こり、わずかに入徳門と水屋を残し、すべてを焼失いたしました。この復興は斯文会が中心となり、昭和10年(1935)工学博士東京帝国大学伊東忠太教授の設計と㈱大林組の施工により、寛政時代の旧制を模し、鉄筋コンクリート造りで再建を果たしました。この建物が現在の湯島聖堂で、昭和61年度(1986)から文化庁による保存修理工事が、奇しくも再び(株)大林組の施工で行われ、平成5年(1993)三月竣工いたしました。
以上
ココが実はすごい場所だという事を今日知りました。
お茶の水方面に行かれる予定の皆さん、今後は湯島天神だけでは無く、湯島聖堂にも立ち寄ってみてくださいね。
筑波大学の学生の皆さん、先生方、どうもありがとうございました。
皆様の今後の益々のご活躍を期待しております。
筑波大学芸術専攻 WEBサイト
http://www.geijutsu.tsukuba.ac.jp/
湯島聖堂WEBサイト
http://www.seido.or.jp/index.html
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